その舞台に、もう上がらないと決めること|BTSとグラミー賞

紫色に光るBTSのライトスティックと「その舞台に、もう上がらないと決めること」の文字 暮らし・推し活

7月29日の夜、スマホを開いたら、7人分の同じ言葉が並んでいた。

全員が、同じことを言っていた。

2027年のグラミー賞には、エントリーしない。


何が起きたのか

順を追って書く。

3月に、BTSは完全体でのアルバム『ARIRANG』をリリースした。

約4年ぶりのカムバックだった。今年こそ本賞を、という空気が確かにあった。

その後、レコーディング・アカデミーが新たに5つの部門を追加すると発表した。

その中に「最優秀アジアン・ポップ・ミュージック・パフォーマンス」という部門が含まれていた。

そして7月29日、メンバー全員がInstagramで、2027年のグラミー賞にはエントリーしないと伝えた。

音楽が地域や言語に区切られることなく、音楽そのものとして聴いていただけて、愛されることを願います。

(公式の日本語訳ではなく、趣旨を訳したもの)

所属事務所側は、会社単位のボイコットではないと説明したと報じられている。

7人は同じ文面を、それぞれのInstagramアカウントから発信した。

少なくとも表に出た形としては、これは7人自身の意思として示されたものだった。


「新しい部門ができました」と聞いたとき

正直に書くと、私は5部門新設のニュースを聞いた時点で、こう思っていた。

あ、これは彼らに獲らせるつもりがないんだな。

長く見てきたから、そう感じた。

グラミーはBTSの人気を利用してきた——と、私はずっと感じてきた。

パフォーマンスで会場を沸かせてもらいながら、賞そのものは渡さない。そう見えていた。

そして今度は、新しいカテゴリーができた。

「アジアの音楽のための部門を作りました」

言葉だけ見れば、配慮だ。光を当てる、と読める。

ここは正確に書いておきたい。

制度としては、この新しい部門に出品しても、主要部門への出品や選考が妨げられるわけではない。

レコーディング・アカデミーも、ジャンル部門と主要部門は両立すると説明している。分けられて終わり、という仕組みではない。

それでも私には、アジアの音楽のために別の棚が用意されたように感じられた

制度がどうであれ、「あなたたちのための場所はこちらです」と名前のついた棚ができたとき、人はそこを見る。

用意された席に座った瞬間、その席が定位置になっていく気がする。

これは制度の欠陥の話ではなくて、名前をつけて場所を用意することの副作用の話だ。


これは、音楽だけの話じゃない

書きながら、仕事の場面が浮かんでいた。

「women in tech」「女性活躍推進枠」「時短勤務者向けのキャリアパス」——名前をつけて場所を用意すること自体は、必要な場面もある。実際、それで救われる人はいる。

ただ、用意された枠には、いつもふたつの顔がある。

ひとつは、入り口としての顔。今まで誰も入れなかった場所に、扉を作る。

もうひとつは、線引きとしての顔

ここがあなたたちの場所です、と示すことで、こちらの場所ではない、と暗に伝える。

私はキャリアの相談を受ける仕事をしているけれど、「配慮のある提案」に対して、なぜか素直に喜べない——そうした相談を受けることがある。本人はたいてい自分を責めている。

「せっかく用意してもらったのに、ありがたく思えない私が悪いのかな」と。

悪くない、と思う。

その違和感は、たいてい当たっている。


降りる、という選択肢

面白いのは、BTSが「不公平だ」と抗議したわけではないことだ。

批判もしていない。制度を変えろとも言っていない。

ただ、出さなかった。

エントリーしないという、いちばん静かなやり方で、そのゲームから降りた。

私はこれを、能力の話ではなく、選択の話として受け取った。

獲れなかったのではなく、その場所で評価されることを、もう目的にしないと決めた。

ヨガの八支則に、アパリグラハという言葉がある。

「執着しない」「必要以上に持たない」という意味だ。

私は以前、キャリアへの執着を手放したら次が見えてきた、という話を書いた。

あのときの私が手放したのは、「こうあるべき自分」だった。

BTSが手放したのは、もっと具体的なものだ。

世界一有名なトロフィー

手放せるものの大きさが、その人の自由の大きさなんだな、と思った。


誰の口から出たか

もうひとつ、私が静かに震えたところがある。

リーダーが代表して声明を出す形を、取らなかった。

普通なら、リーダーが1本出して、それをグループの言葉とする。あるいは事務所名義で1本出す。

そのほうが整うし、事故も起きにくい。

でも今回は、7人が同じ文面を、それぞれの個人アカウントから出した。

文面は同じだ。だから「一人ひとりが自分の言葉で語った」わけではない。

それでも私は、そこに意味を感じた。

「グループとしての決定に、全員が従いました」でも「事務所が発表しました」でもなく、

7人全員が、自分のアカウントで、自分の名前の下に置いた

同じ言葉を、それぞれが引き受けた形になっている。

誰かに預けて済ませることもできたのに、そうしなかった。

兵役を経て戻ってきた彼らを、私は勝手にBTS2.0と呼んでいる。

言葉を、誰かに預けなくなった。それが2.0なんだと思う。


おわりに

私は数か月前、東京ドームで双眼鏡を覗きながら、自分に戻ってくる感覚を書いた。あれは「戻る」話だった。

今回は、たぶん「離れる」話だ。

評価してくれない場所で認められようと頑張り続けるのは、努力に見えて、

実は執着かもしれない。

頑張っている限り、その舞台が自分の人生の中心であり続けてしまう。

降りることは、負けではない。

どこで評価されたいかを、自分で決め直すこと。

7人がそれを選んだことを、ARMYとして、そして人のキャリアに関わる仕事をしている一人として、誇らしく思っている。

音楽が、地域や言語で区切られずに聴かれますように。

私たちの仕事も、性別や働く時間で区切られずに見られますように。


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